2014年 08月 07日
なんて素敵にジャパネスク【人妻編】
なんて素敵にジャパネスク。
平安時代を愛する女子は一度は目を通しておけよ。と、どこかの誰かが言い残して去ったそうな。
サトミッチがおぎゃあと生まれた頃に流行った所謂少女小説の漫画版の文庫版である。
少女小説とは、少女漫画を小説にしたような、ライトノベルをもう少し、花やかで女の子女の子に仕上げた小説のことである。というのはサトミッチ個人の見解であり、ざっくりし過ぎた感満載であり、異を感じた者は自力で検索することを推奨する。
とにかくこの作者が少女小説の先駆者であったことは間違いない。
主人公は瑠璃姫という。それなりに敷居が高い家に生まれながら、おてんばで変わり者と言われている「ザ・ヒロイン」であらせられる。
彼女には年下の幼馴染み、高彬という将来有望で実直な青年貴族がおり、うんぬんかんぬん、帝などあれやこれやとひと悶着あって結婚に至った。
なにを隠そう。続き物である。写真を見ていただくと「人妻編」という文字が見えるだろうか。
いや、サトミッチも散々熟考に熟考を重ねて買ったのだから、気付かなかったわけではない。ただ地元の書店には人妻編しか置いていなかった。そういう寂しいいきさつがあっただけだ。
察するに高彬と結婚するまでが第一部とされ、一番旨味のある思春期であったろう。それらを「こうだったんだろうなあ」と予想しながら成長した瑠璃姫を楽しむのも一興である。と言い聞かせてみる。
気を取り直し、繰り返すと人妻編である。
新婚ほやほやの二人を邪魔するような事件──といっても規模の小さい雅な事件が次々と起こり、 結婚してもドタバタしちゃうよというラブコメに仕上がっている。
原作者の氷室さん(故人)という方は非常に頭の良い方であったらしく、まるで現代の女子高生のような言動をさせておきながら背景はしっかりと平安時代のルールに基づいている。そのさじ加減が非常に巧みであるのと、随所に解説があるので初心者でも簡単に平安ラブライフに手が出せるというわけだ。
ここよりは作品の評価と反転し、全く好き嫌いの話になってしまうため、話半分で聞いていただけると幸いである。
読む前からサトミッチはこの作品が好きだろうと思っていた。サトミッチの書きたそうなことが、ここには全部詰まっていると過剰な期待を託したにも関わらず、本作はしっかりと応え、サトミッチの期待の空腹を半分以上埋めてくだすった。
では、残りはなにか。
いかんせん瑠璃姫が嫌いである。
高貴なお嬢様にあるまじき振る舞いをときにしてみせる肝っ玉ヒロインが嫌なのではない。なんというか、彼女は少々いやらしい。
明け透けでおきゃんかと思いきや妙な常識を兼ね備えており、ヤレヤレ系になってみたり、嬉し恥ずかしの本場のヒロインになってみたり、それこそガテン系の変わり者少女になってみたり、鋭い聡い女になってみたり忙しい。
かつて彼女は記憶喪失の男と出会い、イイ雰囲気になったことがあった。その男が記憶を取り戻し二人は再会するのだが、男・守弥の正体は夫の乳兄弟だった。そこへ、煌姫という姫が居候することになり四角関係になるというところから物語は始まるのだが。
瑠璃姫の口癖は「○○(高彬あるいは守弥)はそんなことする人じゃないわ!」である。
心の目で人を見る女性であるといいたいようだ。
夫にちょっかいをかけようとする煌姫を牽制したり、夫への愛を誓ったり、激おこぷんぷん丸するわりに、一方で彼女は守弥を取られそうになると怒る。守弥に恋人がいないと知ってほっとし、出会ったときを思い出して赤面し、破天荒にかこつけて逢い引きをする。
心の浮気と呼ばずしてなんとする。
夫の浮気の話が持ち上がる度に瑠璃姫は言う。
「高彬がそんなことする人だったらあたし結婚してなかったし」
それは高彬の台詞ではないだろうか?
こんな正義は間違っていると、サトミッチの聖なる両の拳が机を打つ。
冗長に語ったが、要するに感情移入に失敗した。浮気心は恋愛物語の定石。本命との絆を強くする為のヤラセである。理解はしているが瑠璃姫の場合は自分が揺れまくっている立場にありながら「まあ、なにか理由があったんだろーし?」などと他者に対して聖母を気取るのでつい拒否をしてしまった。これからもする。
瑠璃姫の悪口という最悪の流れ、汚水濁流もいいところを清流へかえす為にも最後につけ加えると、平安時代とラブコメ好きには是非読んでいただきたい。ほのぼのすること請け合いだ。
80年代~90年代のハートフルな物語は平和で大好きだ。ちなみに、サトミッチは瑠璃姫の弟の融くんが好きである。彼は明るい下戸だ。