2017年 07月 05日
祖父、亡くなる
私は転職してから土日の休みがとれず、祖父との時間が少なかった。鰻を一緒に食べに行ったことを記事にしたりもしたけれど、以降は全くで、休みがなかったわけではないのに祖父はまだまだ生きると根拠もなく決めつけていた。
祖母の時にも、これからは縁を大事にして、関わりを持っていかなきゃと強く思ったのに、やはり学習しないものだ。
小さなことが後から後から大きな後悔になってやってくる。
色々心残りはあるけれど、一番は同居が叶わなかったことかな。祖父が頑張って建てた家にみんなが住んだのはわずか数ヶ月。あまり全面に押し出してくることはなかったけど、祖父がもう一度と期待していたのは知ってる。
同居さえしていればもっとしてあげられたことがあったかもしれない。自分ひとりの意思ではどうにもならない事案だが、一緒に住みたいという意思を明確に表示してこなかったのもまた事実で、それが可哀想で悔やまれてならない。
頑固でワガママで嫌われる場面の多かった祖父だったけど、お人好しで良いところも数え切れないほどあった。
いい意味でも悪い意味でも存在感のあった祖父の死により、家族にも動揺が走っている。
思い出と後悔が反芻して涙が止まらなかったり、故人から与えられた影響を胸に今後の生活を改めようと思い直したり。
前者はいわゆる悲しい気持ちや思い出を抱き枕にして眠っている状態。後者は頭の下に積んで眠っている状態。どちらも正解であり、皆それぞれのやり方で浄化していくんだろう。
私は後者である。頭の片隅ではエンドレスにちらついてはいるんだけれども、自分の感情と向き合うのが苦手だからだ。
家族と居すぎて損ということはない。長年かけて沢山顔を見たつもりでもこんなに寂しいのだから、祖父が教えてくれた通りに、今よりもっと家族を大事にしていこうと思う。
とにもかくにも、お疲れ様でした。おじいちゃん。ありがとね。