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ホワイトデーは残業だった
ホワイトデーはバレンタインほど盛り上がらなくていいんだ。

バレンタインがあるから仕方なくホワイトデーがあるんだ。


だから私は今日がホワイトデーだということを忘れていたんだ。



これを貰うまではな。


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親父からのお返しというのがなんとも色気が感じられないが。いやはや、嬉しい。甘さが疲れを癒してくれる。



ありがとう親父。長生きしてくれ。
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by kumatalow | 2014-03-14 21:38 | 日常 | Comments(0)
里見八犬伝
日本映画チャンネルで「里見八犬伝」を見た。

里見八犬伝というと誰もが滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」を想起するだろう。
仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌の八つの宝玉に導かれし戦士たちが、自らの因縁と戦っていく物語。
抽象的な言い方になったが、膨大な長編小説であるため、もはやどんな物語と一括りにすることは大変困難である。


原作を知っている人は映画を見てあまりの違いに驚き、映画から興味を持った人は、同じように違いに驚くだろう。


私は映画から入った人である。
小さい頃に父が夜中に見ていたのをこっそり眺めた記憶がある。物語は丁度クライマックスのシーン、道節が門扉の前で血だらけになりながら巻物攻撃を繰り広げる場面であった。
血みどろの道節に興奮した私はどうにかして最初から全部見たいと思った。昔から人が死ぬ物語が好きな奴だったのだ。

願いが叶ったのはそれから数年経った中学の頃。ビデオが普通に家にあった。何気なく再生したらあの日見たかった里見八犬伝だった。
肝心の道節のシーンは覚えているより大したものではなかったが、全部通して見ると中々の面白さにすっかりハマッてしまった。


原作の勧善懲悪な、どこか勇ましい雰囲気とは違って、映画の八犬伝は暗い。自らの運命に翻弄された八犬士たちがある意味死に場所を求めて戦っていくのである。そんな薄暗い連中をよそに、親兵衛と静姫だけは愛と生命力に満ち溢れて光り輝き、最終的に物語を軽いラブロマンスに収めるのに一役買っている。


まず、この静姫という女がそもそも原作との相違である。

原作は八房いう犬と結婚させられた伏姫という姫がおり、部下が放った鉛弾をもろともに受けた際、八つの玉が飛び散り、数年後各地に玉を持った子供が生まれてくるのである。剣士たちは犬と伏姫の子供と言えなくもない。不思議な運命と共にある。


映画は伏姫が亡くなってから何代か後の設定になっている。剣士たちも犬から生まれたというには遅く、また自覚のないような奴もおり、あまり心が綺麗とは言えない。


特に親兵衛は原作だと子供であるのに対し、映画は若かりし頃の青年真田広之だ。代わりに荘助が幼い少年になっている。


更には、原作が皆働きを認められ一国一城の主になっているのに対し、映画はほぼ全滅という点。よくある「俺に構わず先に行けー!」を急ピッチでこなす。


どちらがどう、と言われれば原作には忠実ではない点あまり映画を評価したくはないが、実はこの映画の原作は馬琴ではなく、鎌田敏夫という人の「新・里見八犬伝」という小説を原作としている。


鎌田さんの書いた八犬伝は新訳という感が強い。かなりのエログロであるらしい。


死ぬから面白いとは言えない。が、物語の強弱は鎌田版の方がある気がする。
原作は全くポジティブで人のいい八犬士たちが一生懸命真面目に戦って誉めあっているうちに、みんなで平等に出世する。


それよりはまだ、玉に選ばれ、導かれながら翻弄される方が特異性がある。
原作のいい人過ぎるのもある意味特異性たっぷりだが、どうしてもお前らでなくてもな…という部分が抜けきらない。


私は犬塚信乃が好きだ。原作では信乃を中心として話を回すことが多いから、一応主人公は信乃だろう。
現八との屋根の上の対決は超有名なシーンだが、映画版の現八が山頂より薄い空気であり、親兵衛が主人公で信乃がシスコンの脇役なので皆無。酷な話だ。



シスコンの信乃も悪くはない。化粧ベタベタの京本政樹が妹の死に怒り狂いながら毛野(毛野も原作は女形でれっきとした男なのに、どうやら鎌田版はふたなり設定であるらしい)と乱闘し、大角らが帰還するや何事もなかったかのように刀を収めるシーンが大好きだ。


ここまで違うともはや名前だけ借りた里見八犬伝の二次創作じゃないかと思いたくなる。
唯一の共通点といえばそれぞれ与えられた玉の特性が体現できていないところだろうか。


映画版で結婚式の来賓を殺戮しまくった信乃は一体なにが【孝】なのか、山頂より薄い空気でほとんど敵でしか登場しない現八はどの辺りが【信】なのか。志穂美悦子のアクションだけが見せ場の毛野は【智】だっただろうか?母親を殺されても平然とし、なにがあっても脇役の域を出てこようとしないムスカの【礼】はどこで見出だせば良かったのか。


原作は原作でまた気持ち悪いばかりに揃いも揃っていい人で、もしや八つの玉は一人一つずつではなく、一人八つずつ64玉与えられてるんじゃないかと勘ぐりたくなるほどキャラクター被りまくり。


親兵衛と静姫の無駄なラブシーンを盛り込みながら、当時にしては長い二時間越えの超娯楽大作である。この他にも書ききれないほどツッコミ所が満載で、上出来ではない。


しかし当時面白いと感じた作品には思い出補正がついてしまって、馬鹿にしながらもついつい目が離せない。
ダサいBGMに勿体無いキャラの使い方、決戦前におめかしをしてしまうところ。それら全てがダサダサなれど、今日までの私の創作に存分に生かされている。




全体として失笑もの、人には全くオススメできない映画だ。誰にだって一つや二つある自分だけの思い出作品というやつだ。


年をおうごとに失笑レベルが自己新を記録していくが、荘助のシーンはいつもちとホロリときてしまう。

今の言い方をするとショタ枠である。親兵衛の代わりにショタを担う荘助は小文吾とワンセットで紙より薄い存在だ。


最後の戦いで身代わりになって出オチした現八に駆け寄って涙したのは彼だけ。


岩を支える小文吾を助け、目前から襲ってくる敵を器用に切り伏せたところを背中を向けてしまい、殺られて岩になる(意味がわからない)場面は悲しい。私は少年が好きなので少年の頑張りに弱い。


もっと注目して然るべき場面かと思うのに、相変わらず残りの犬士たちはスタコラサッサと進軍し、挙げ句の果てには岩になった荘助と小文吾をまるでホラー映画のような音楽と演出で「怖いだろ?」とばかりに映して場転させるのだ。酷い。


自分達の演出した魅力を全く把握しないまま斜め上な解釈とピントズレしたクライマックスで大団円を迎えるこの作品、監督は深作欣二である。



懐かしかった。今でも楽しく見られるぞ。
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by kumatalow | 2014-03-11 22:11 | 映画 | Comments(0)
仕事の辞め方
かれこれ9年間世話になった職場を離れようと考えている。

特に最近は慢性的な人手不足で減ることはあっても増えることはなかった。去っていく人の背中を恨みがましく眺めながら、残された者たち同士でてんてこ舞いするのに私は疲れた。

たまには自分がてんてこ舞いする誰かに向かってあばよと言ってみたい。そういう欲求は常にあったように思う。
それが保険だ年金だと福利厚生の旨味にしがみついて結局今日まで自分を放置していた。


なのに、一旦辞める。と決めたら私の心やどうだ。あれよあれよと雪崩をうって退職の方向へと気持ちが傾いていくではないか。

そこに感傷はない。私はやや情というものに希薄なタチであるので9年間連れ添った職場のメンツとさようならをすることには特になんの障壁もない。


打ち明けた。ところが最初に打ち明けた相手は異動を控え、最後の一日を懸命にこなす副店長であった。彼は私に言った。


「俺今日までだから。次の人に言ってくれない?」


そりゃそうだ。


虎視眈々と新しい副店長が来店するのを待ち受け、どうにか隙を見つけようと私はちょろちょろ徘徊を試みた。が、着任間もない上司は忙しそうである。まず彼は私という人間がいることすら認識していないであろう。

知らない奴がいきなり近寄って「辞めたい」と訴えてもそもそも「いたのか」という気分であろうから、仕方なくもう少し待った。


いよいよ今日こそ――とあれこれ言葉を考えて出勤したら今度はそいつがお休みだった。おのれ、サービス業の分際で土曜日を休みおるか。


このままでは埒が明かない。
結局、レジのリーダーにぼそぼそ報告に行った。


しかし、不思議なもので。辞めると決心したときは嫌なことが沢山あって、辞める為の正当な理由が沢山あって――否、これは辞めるに値するれっきとした理由であると信じて疑わなかったのに、そのどれ一つとして、言うのが躊躇われた。


気が付いたら慢性的な腰と背中の痛みを主な理由として掲げている自分がいた(これは嘘じゃない) 。


だけど真実は違う筈なのだ。残業続きが嫌で、アホな客の相手をするのが嫌で辞めようと思っている。それを言えばよいのに、どういう訳か言えない。


辞めて関わりのなくなる相手に馬鹿にされることを恐れている。チンケな理由で辞めやがって社会を舐めていると指を指されるのを嫌った。突如守りに入った原因はまあこんなところだろう。


なにやら自分が情けないが、とりあえずよしとする。辞める意思さえ伝われば理由なんてなんだっていいのだ。駄々をこねたと思われるより、体調致し方なくと諦めて貰った方が後腐れもなくていい。


ところが、レジのリーダーにぼそぼそとそのような報告をしたところ、「ダメでしょ」と一蹴された。


サトミッチさんはアテンダントができる人だし、タバコの管理者だし、ベテランでどうのこうのと、言っておられた。


いや、だからそれが嫌で辞めるんです。


ということを言ってみても今一つ納得されない。


話し合えば合うほど自分が急に変なことを言い出したみたいになって、全く先へ進まないまま終わった。


ここまで自分が口下手だと思わなかった。


もしかして私は変なこと言ってるんだろうか?

あんたは旗揚げの時からいるんだから、この店と運命を共にするのは当然でしょ?辞める?なに?ハァ?


そんな感じだろうか。私が退職するのってそんなに変なことなんだろうか。



などとせんでもいい考察をしてしまったではないか。



どうにかスッキリ辞める方法はないだろうか。


優柔不断な私の気が変わらないうちに早く辞めさせてくれ。
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by kumatalow | 2014-03-08 21:37 | 仕事 | Comments(0)
TBS関ヶ原
感想は見た時分に書いたと思っていた。当時も興奮して、スマホを片手に色々打ち込んだ記憶があったのでブログには既に上げたつもりでいたが、一向に見つからぬのでどうやらTwitterに書き殴っていたようだ。


というわけでもう一度改めて、大好きなTBSの関ヶ原について書いておこうと思う。
もし、私が既にどこかで感想を書いていて、発見できていないだけだったとしたら同じような文章を見せることになる。ということを覚悟して貰いたい。

先に説明しておくと、【TBSの関ヶ原】というのは

※以下Wikipedia引用。


『関ヶ原』(せきがはら)は、東京放送創立30周年記念番組として司馬遼太郎の小説「関ヶ原」を原作に、TBS系にて1981年1月2日から1月4日まで3夜連続で放映された大型時代劇。


原作が司馬さんとあっては、創作臭の強さは否めない。しかし司馬さんの物語はコミカルで頭に入りやすい。こぞって映像化されるのは見せるのに向いているのだろうと思う。

出演者は石田三成に加藤剛、徳川家康に森繁久彌、島左近に三船敏郎、本多正信に三國連太郎と、当時ではそうそうたる顔ぶれだ。今は何人か天に召されて残された人々も大概ジジイなのでそうそうたる、とか言われてもピンとこない。


この関ヶ原の特徴は石田三成を主人公っぽくしつつも、(後で言うところの)東軍西軍を交互に描いていることだ。


場面は秀吉の晩年からスタートする。

お拾(秀頼)を授かってデレデレになって、ちょっと耄碌が過ぎる、秀吉の人生で一番痛々しくて恥ずかしい時期である。

浮かれる秀吉をよそに豊臣家の安泰を心配する家臣と下心満載の徳川一派の場面が交互に挟まれながら進んでいく。


東軍西軍の戦いは今すぐに始まったのではないということを思い知らされる。


石田勢にギャグシーンというのはほぼ存在せず、大真面目で神経質そうな、しかして血気盛んな様子を加藤剛さんが見事に演じている。全体的に漂う若さを諌める立場にある左近も渋くていい。
石田全体のシーンは物語が今どの程度にあるのかを理解するのにわかりやすい。昨今に出回る関ヶ原関連の書籍なんかは、ドラマの多い西軍視点がほとんどだからだ。


対する徳川勢は少し余裕をもち、コミカルを担当しているように思った。クスッとくる場面は東軍に多い。
朝日姫の輿入れや、関ヶ原合戦直前の中間管理職然として困り果てる本多忠勝のシーンなんかは特に面白い。


私は当然西軍派だが、どのシーンも楽しめた。



飽きない場面演出が好きな理由として勿論のことだが、役者がハマッているというのも見逃してはならない一因だ。


さりげない脇役も気が利いた顔ぶれが用意されている。傍にいつつも特にキャラクターとして注目されることのない小西行長。俳優は誰だかわからないのに雰囲気がよく出ている。際立つ個性はないのに、小西行長のオーラをびんびんと感じる。


宇喜多秀家は若き日の三浦友和が演じた。いつもむっすりとした顔で三成以上の若さを全面に押し出し、口数少ないがたまに出る一言一言が非凡さを伺わせる。
「もう終わった」と認めつつも、「裏切り金吾と刺し違えてくれるわ!」と馬を返そうとする有名なエピソードのシーンは、素直にタヌキ顔の秀家をかっこいい!と思った。私は単純だ。


小早川秀秋は国広富之氏が演じていた。実は、小早川の役は地味に演出が難しい。作中にも三成による「このなにを考えているかわからない男の機嫌を取らねばならんのか」という独白がある。
小早川秀秋なる人物は確かになにを考えているのかわからない。


臆病風に吹かれて裏切った卑怯者というレッテルをとかく貼られがちだが、中々肝の座ったところもある人で、朝鮮出兵のときの働きぶりなどは武人そのものである気がする。
決してビビりというわけではなさそうだ。

不思議ちゃん具合が国広氏本当に上手い。馬鹿すぎず、臆病過ぎず、プライドの高いところもわかりやすかった。


さて、大谷吉継。

豊臣秀吉が長浜城主になったときに三成が仕え、同時期に仕えた吉継は同僚ということになる。三成の盟友で通っているが、実は彼は結構誰とでも仲良くなれる、三成と違って上手に人付き合いができる人なのだ。

加藤清正ら武断派も三成の悪口は言っても吉継の悪口は言わない。吉継はかつて秀吉に100万の兵を指揮させてみたいと言われた程の武人だが、三成と共に行政に当たることも多かった。なのになにも言われないのは、やはり清正たちも吉継には悪い感情は抱いていなかったのだろう。


それどころか、徳川一派とも仲がいい。秀吉亡きあと徳川の動きが活発化した一触即発の時期に、宇喜多家のお家騒動を榊原と共に諌めに行ったりもしている。

そんな幅広い人脈の中で取った吉継の行動がこの結果なので、吉継と三成が特に仲が良かったのは間違いない。なんだか現代の友達関係にもこういう図は多々ある気がする。


今の紹介の仕方でおわかり頂いたろうが、大谷吉継って物凄くかっこいいのだ。三成よりずっと人気がありそうな武将だと私は思っている。
かっこいい吉継を演じたのは高橋幸治という、やはり現在引退状態の俳優である。
彼は見事に大谷吉継だった!

高橋さんの大谷語りがしたくてこの記事を書いたと言ってもいい。

吉継の出番は全体の三分の一あるかないかくらいしかない。司馬原作はもっと少ない。
というのは冒頭から戦までの時期、吉継は病気でほとんど第一線から退いている。また、徳川にあからさまに牙を剥く三成から少し距離を置いているような形跡もある。

吉継の登場は徳川の会津攻めに同行するところからである。


吉継は徳川の強大さをよく理解し、徳川に好意的に接していた。徳川も吉継はノーマークだったようだ。
徳川の会津攻めというのは、言うことを聞かない上杉をこらしめにいく戦である。
上杉も三成と通じ、家康に牙を剥いて臨戦態勢を取っている。吉継は徳川方として、行軍の途中で佐和山に立ち寄ったところを、三成から挙兵を打ち明けられる。


「刑部、目が見えんのか」


「うん。目まで来てしもうた」


三成と吉継の最初のやりとりだが、これが始まっていきなりうわー!大谷吉継が私の目の前にいる!と、誰もが思うことだろう。

この人がそもそも本物であったかのような、そんな錯覚に陥りそうなほど、病み付きな芝居をしてくれるのだ。
どちらかといえば脇役、登場の仕方は飛び入り感が強いのに一気に受け入れられる。


淡々としつつも、台詞や仕草の端々に肩の力が抜けたようなラフさが感じられる。ちょっとした役作りなのか、元々こういう演技をする人なのかはわからないが、それがピタリとはまる。
かつて太閤記で信長を演じてから、信長はこの人しかいないとまで称賛されていることから、結構化けるのかもしれない。


大谷吉継は目出しの白頭巾で顔を覆っている。病気で目が見えなくなったので終始瞼を痙攣させ、ほぼ目を閉じた状態しか見られない。お陰で中の人がどんな顔をしているのか後に画像検索する羽目になったが、作中吉継が目を開くシーンが二回ある。


一つはまだ目が見えている頃の過去。自分が口をつけたお茶を飲み干す三成を横目で眺めているだけなのだが、この表情がなんとも言えず可愛らしい。
感激して絶句しているようにも見えるし、「こいつ変わってるなぁ」と他人事のようにしみじみ思っていそうな目の動き。



もう一つは「わしは兵を上げる」と言われた瞬間にパカッと開く。これがもう滅茶苦茶かっこいいのだ。


無駄に長文の興奮じみた文章ではとても伝わらない。
なんとも言えずとてもかっこいい。


「お主もわしも目が見えん。目が見えぬ者同士のよしみじゃ。この命くれてやる、受け取れ」


惚れた者負けとは言え、何事につけ重くなりすぎない言葉選びが吉継らしさを感じる。


などと、偉そうに長文でズラズラと語り尽くしたが、当然私は戦国時代にいたことがないので、実際の人柄がどんなものだったのか知らない。


誰しも自分の求めるイメージを的確に表現してくれると嬉しいもので、私のイメージとこのドラマが最高に合っていたということだろう。


とにかく吐き出せて満足した。



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大谷吉継


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宇喜多秀家


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小早川秀秋
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by kumatalow | 2014-03-07 14:45 | DVD | Comments(0)
AZ
私の姉が演技の学校でやった演目【AZ】のDVDを特別に見せて貰いました!


人類に最も近くて従順で、痒いところに手が届く…要するに人間様にとって一番都合のいい存在を作る為に開発された感情プログラム搭載アンドロイドAZと、研究員たちの話です。


どんどん自我が生まれて可愛くなっていくAZと、どんどん愛着がわいていくアキトくんとの絆が主軸。


和気あいあいとした楽しそうなシーンと、残酷なリセットのシーンが交互に訪れてなんだかやるせない。

これは他人事ではないような気もするぞ。近い将来起こりうる問題かもしれない。

そうなったとき、ロボットはロボットとして割りきるか、人間として接していくのか、人間の身勝手が試されているようだ。

とはいえこの物語に登場するドクターツカサ(漢字わからない)とか、AZの完成に厳しい面々も、自分なりの正義感があってのことなので、そんなに悪い人ばかりではなくてね。


難しいな~と部外者は悩みながら腕組みをする始末。


ドクターヒロの足を引きずる哀れっぽい後ろ姿とか切ない。「あなたがしっかりしなさい」にジーンとさせられる。自分の研究を守れなかった悔しさも言外に潜んでいるんだろうか。


生み出した以上は守ること。その信念はアキトもツカサもヒロも一貫しているね。


壊れたり失敗したらリセットしたらいいや、なんて。成果への虐待なんだ。いらないアプリをせっせとアンインストールしながらそんなことを思った(矛盾)


ところで生徒さん同士とはいえ、みなさんの演技力には舌を巻いた。

AZのロボットの声なんて、よく出せるもんだ。
私は演技のことはよくわからんので直感でイイと思ったら上手いと判断することにしている。
狭い、大したセットもなく、ほぼ人間が立っているだけの状態でお話に身が入るというのは、やっぱりみなさんがなりきっているからだと思うのだが、どうだろう。




作品に対する愛着は大事だ。



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by kumatalow | 2014-03-03 12:21 | DVD | Comments(0)
  

さらしちゃいな日記。
by サトミッチ
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