2012年 08月 04日
カッコいい仏
題して、カッコいい仏。
仏のなかでもコイツはイカす、コイツはカッコいい、という仏を作者が独断と偏見でピックアップした珠玉の一冊。
仏教の入り口にすら立てないで尻込みしている方は是非この本を一冊手にとって読んで頂ければ、素直に悟りの道が開けるのではないかと思う。
なにしろ巷に売っている「誰でもわかる!仏教入門」という本は全くと言っていいほど誰にもわからないからだ。
確かに懇切丁寧には書かれている。だがしかし、なにかがわからない。その何かが素人にわかる訳がない。よって、読後に釈然としない、もやもやとした気持ちを抱えたまま、わかったようなわからんようなで終わっていくのが関の山だ。
私も長年このもやもやと戦ってきた。
読んでも読んでもわからない。何がわからないのかわからない。
それがなんと、ただ作者がカッコ良さそうな仏を順番に紹介するという、さして分厚くもない、特に丁寧でもない冗談満載の一冊で氷解してしまったのだ。
それは宗教には矛盾があることと。ハッキリと矛盾であると書いてあることである。
まさにこの二点につき、理解した時私の心は晴れやかになった。嬉しかった。
そもそも清い心を持っているのなんて、悟り第1号のブッタだけであって、残された修行僧たちはヒンドゥー教存続の為にあることないこと設定作ったり、自分等に都合のいいように話盛ったり、色々やってきたわけだ。真っ黒だ、ズブズブだ。
仏教入門はそういうことは指摘しない。
この仏様は、○○観音の変身した姿で、インドではこう呼ばれて、はい、常にお美しい姿をしておいでです。
この仏様は○○時代に作られて…。
口調ら柔らかく、順番に説明するだけで、どうして同じ仏教なのに作られた時代が前後しているのか、変身するってどういうことなのかを完全にスルーする。この潔さに負けじと、読者も開き直らなければ仏教は理解できない。
なにかズレが出てきたら「ああ、後付けしたか…」で押し通す。
この本を読んで自然とヒンドゥー教から仏教誕生の道筋が見えた。
そこには色んなプロセスがあって、仏様も人間に合わせて随分なご苦労をなさっている。
寺社仏閣に傾倒して何年だったかは忘れたが、ついに私は仏教の玄関から一歩中へ足を踏み入れた。気がする。
だから興味のある方は是非この本を読んで欲しい。
きっかけは何でもいい。最初は自分のお気に入りの仏を見つけるくらいで丁度良い。
ちなみに私は当初56億7千万年後の救世主、仏界のプリンス弥勒菩薩が好きだったんですが、最近は断然不空羂索観音だ。
手に持った羂索(インドの狩猟用の縄)を伸ばして衆生を救う。
20種の功徳と8種の利益だ。十一面観音の倍をいく数字だ。
容貌は地味ながら、水晶、宝玉、琥珀などのついた宝冠に、長い天衣を羽織ってかなりゴージャス。
額には第三の目、持物は羂索だけにあらず、三叉戟、数珠、蓮華、如意珠と色々。
カッコいいじゃないか…。
残念ながらこの本には不空羂索観音のことは載っていなかったのだが、実に豊富なボキャブラリーで我々を楽しませてくれる。
やはりHTK(仏)48総選挙でも不動のセンターはあっちゃん(阿修羅)だろう。
彼抜きでは語れない。彼の甘いマスクのお陰で昨今の女性たちの関心を集めたのだから!アシュラーなんて言葉も生まれたくらいだ。誰が上手いこと言えと言った。
こんな風に仏の中でもイケメン
で少年という、アイドル的存在で人気を誇る阿修羅も、ヒンドゥー時代はとても男気溢れる神様だったのだ。
インドラに負けるとわかっていても戦いを挑み続け、最終的には周りから愛想尽かされる感じで地上に堕ち、浮浪者同然の生活をしていたところ仏教と出会い、改心する…という、ヒンドゥー→仏教への筋書きがあるんです、一応。
そして何故か日本に渡ってからアイドルに転向したって言うね。
このインドラとの戦いが所謂「修羅場」というヤツだ。修羅場と聞くと何やら浮気した男女のもつれなんかが思い浮かびそうだが、昔は男と男の熱い戦いであったのだ。
それから文殊菩薩と維摩居士との問答なんかも面白おかしく語られていたし、仏教隆盛の為にヒンドゥーから引っ張られて色んな形態変化をさせられる神様のお話とか、歯に衣着せぬ文章は少なくとも私には合っていた。
やっぱり本はゆっくり時間をかけて探すと、こういう掘り出し物に出会えるから、本選びには存分に時間を割こう。
是非ともカッコいい仏2を出版して頂きたいものだ。
不空羂索観音。漫画臭がプンプンするのは気にしない!
by kumatalow
| 2012-08-04 23:04
| 書籍