厄払いには意味がある
 年明けに厄払いに行ったにも関わらず、我が家で再び厄落としの話題が持ち上がったのは、父の新車に原因不明の傷ができたことだった。

 それがなくとも、去年あたりからごたついた出来事が続いていたと、あとから考えてみると思う。祖父の死に始まり、身内からの絶縁、裁判沙汰、今年に入ってからは私の残業(ちゃっかり入れてみた)、捻挫、それから姉が可愛がっていたペットのインコが外へ飛んでいった。そして車の傷だ。

 小さなことから大変ショックなことまで、フォーカスしてみるといろいろあった。ただどれもこれも未曾有というよりは“大変だけどあり得る範囲かな”と流せるものが多かった。なので今回の厄払いも、新車にしたばかりだから行っておこうという程度のものだったようだ。

 開運厄除・交通安全に名高いというと、私たちの住んでいる場所から行ける範囲では、滋賀県の田村神社がある。
 主祭神は坂上田村麻呂。平安初期の征夷大将軍で、【都から伊勢への参宮ルート、鈴鹿峠に出没する悪鬼を倒した】、【厄除けの大祈祷を行ったことにより作物が実った】などの功績と霊験を讃えられ、交通安全と厄除けの神として崇められるようになったとされる。


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 というわけで両親が二人で厄除けに行ったのが昨日。
 そこで母が実は本厄であることが発覚した。私たちが普段厄払いに訪れる神社の看板には書かれていなかったのだが、田村神社には還暦の厄年について書かれていたのだ。さすが厄のスペシャリストというべきか。母は今年60になるので本厄となり、私と父の後厄合わせて厄まみれ。もう少しで厄のロイヤルストレートフラッシュが完成する。

 去年も今年の厄払いでもゲスト面で私たち後厄に世話を焼いていたくせに、自分は巨大な本厄を引っさげて日々を暮らしていたのだから呆れたもんだ。

 そこで冒頭のように振り返ってみると、大きなバタバタはわりと母絡みであることが多かったのだ。
 インコが飛んだのも母親の行動がきっかけだった。

 こじつけようと思えばいくらでもこじつけられるし、偶然と思えばそうなのかもしれない。私としては実は本厄だったと聞かされたとき、全てではないにしろ、あーやっぱり厄払いというのは大事なんだなと思った。

 で、なんでまた翌日に家族総出で行ったのか。なんのことはない、目をつけた簡易神棚を買ってくるのを忘れたからだそうだ。だったらついでに古いお守りも持って行こうぜということで、私と姉も参加した。日を置かずにしかも人数増やして現れてなんだこいつらと社務所の人に思われていないことを祈る。


 神社という場所はいい。行くだけで心が落ち着くし、大きくて広い袖の中にすっぽり入れて護られているような気持ちになる。時折聞こえてくるせせらぎの音、虫の声、葉の擦れ合うざわめきもすべてがいい。広い神社から一歩逸れると自然の川に繋がっていて、清流が一望できた。


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 山の天気は非常に変わりやすく到着したときは雨が降っていたのだが、最後には美しい青空になったのだ!

 神様に微笑まれているようで嬉しくなる。



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by kumatalow | 2018-09-17 16:24 | 日常 | Comments(0)

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